「じぶん」がほどけるセッション

― やさしく自我を解体する「わたしはいない」非二元セッション ―

こちらも「おしゃべりセッション」内でおこなっています。

私たちは、日々の中で起きるさまざまな反応を

「自分だ」

と思って生きています。

それら「自分」と呼んでいるものの中身は

・さまざまな過去の記憶

・さまざまな反応

・人間社会における役柄(役割)

・思考のパターン



などが組み合わさったもの……そして、それらは、この肉体を守り、生存・生き延びさせるために働いてきた機能性「うごき」です。

このセッションでは、それら「自分」と思っている反応や役割、そのひとつひとつを「イノチの機能性・うごき」として見ていきます。それらを直したり、なくしたり、排除したりする必要はありません。

ただ、いまここでおきている「うごき」に

気づく、認める、味わう、寄り添う

静かに、ただ、気づいていきます。

「私は不安だ……」から、不安を感じている「うごき」がある。

「私はこういう人間だ……」から、こうやって、このイノチを守ろうとしている「うごき」がある。

「私はこういう自分を変えなければならない……」から、自分を変えることで生存しようと頑張っている「うごき」がある。

それら……「わたしというスペース」に立ち現れるうごき……

として気づいてみると、

その「うごき」とのあいだに(これまでの一体化とは逆の)余白が生まれてきます。

このセッションでいう「自我の解体」とは、自我を壊したり、自我をなくしたりすることではありません。

ただ、自分だと思っていた「うごき」を、ひとつひとつ見ていく。

その「うごき」を直したり排除したりせず、ただそれとの「一体化」をゆるめる。

自分と呼んでいるものを修正するのではなく
「自分だと思っていた反応」を見守る。

それによって、もともと「自分」と呼んでいたものなんてなかったことにも気づく……ということも起きてきます。

それらとの一体化がゆるんでいくと……

もともとあった静けさ、広がり、温かさ、好奇心、選択できる感覚が自然に現れてきます。

それによって、現実や行動、気づくことにも変化が起き始めます。

これは「自分が変わった」から起きる変化ではなく、「自分だと思っていたものとの一体化が外れた」ことによって起きてくるものです。

このセッションは、別の何者かになるためのものではありません。

悟った自分、悟っていない自分、どちらも……
「自分というパーツ」のうごきだからです。

なにかを「直そう」ともしない。

なにかに「なろう」ともしない。


なにかになるために「修正」しようともしない。

ただ、起きているうごきに気づいて、認めて、味わい、寄り添う。

そのようなプロセスをとおして「じぶん」を少しずつほどきながら、もともと「ここ」にあった静けさへと戻っていくセッションです。


こちらも「おしゃべりセッション」内でおこなっています。

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